通り魔と私の憂鬱
ある、夏に近くなり始めた頃の雨上がりの夜。
―――私は死んだ。
通り魔と私の憂鬱
ついさっきのことのように、覚えている。
夏風に近い、生暖かい空気・・・、湿った土の匂い、そして生暖かい風が髪を揺らして頬にかかる感触も、しっかりと・・・。
私は、いつものように姉さんの病院のお見舞いの帰りだった。
姉さんは幼い頃から体が弱くて、入院と退院を繰り返してはやがて寿命が近いことを知らされた。
姉さんは、死にたくないとずっと泣き叫んでいた。
なぜ私が死ななくちゃいけないの、
なんで他の人じゃないの、
なんで、
私には姉さんが哀れにしか思えなかった。
すっかり夜の色に染まった空を眺めながら、ずっとそんなことを考えていた。
そんな、時だった。
後ろのどこかで人影のような、人のいる気配を感じて思わず振り向いた。
薄く開かれた白い唇がわなわなと震えているのが、薄暗い月明かりでわずかに見え、そして視線を下に落とせば何かがキラリと月明かりに反射して光った。
・・・果物ナイフだった。
「ねえ、あなたは私を殺すの?」
「・・・」
「そう、答えなくてもいいわ」
「・・・」
「貴方は死ぬって、どんなことだと思う?」
「・・・」
「私は、ただ長い昏睡が続く、それだけだと思うの。体は朽ちて、死んだと認識する間もなく朝日は昇り、やがて太陽は沈み、月は昇るの」
「・・・・・・」
「次に生まれることができるのなら、月になりたい、きっと無理だろうけれど」
笑って私はそう言うと、人通りの少ないこの細い道で精一杯腕を広げてみせる。
「月のように、何度死んでも、どんなに形を変えても、変わらぬモノであれたらいいのにね、人も」
それが私の最後の言葉。
私を殺すのだろう、終始無言だったあの人は銀色に光る冷たい果物ナイフを握り締め、大きく振りかぶった。
痛みはなかった、熱さに近い暖かさがゆっくりと体を通り抜け、やがて体は力を失って重力に逆らうことなく落ちていく、最後に見えた空は、
とてもきれいだった。
あれからどれだけの年月が経ったのかはわからない、けれど私の意識はまだここにある。
知らないうちに太陽は昇り、月は消えていく。
あの通り魔は可哀想。
だってあの通り魔は、自分を殺してくれる人がいないんだもの。
(愛する人を殺めた通り魔の悲劇。)
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