愛の行く方へ

モクジ


先輩と部長が話していたあの日から3日間、美術室を避けるようになった。
先輩は勿論、部長も何も言わなかったし関わりがなかった。



やっぱり俺とは全く別次元の人たちだったんだと、尚更想わされるような気がした。

狭い狭い美術室でしか俺はあの人たちに関われないんだと、最初から関われるような人種ではないんだと、見せ付けられているかのように。




授業中ぼーっとするとやっぱりぼんやりと先輩の表情や言葉、仕草を思い出しそうになり苦しくなる。

授業に集中できずに思わず教室を飛び出して向かった先なんて気が知れていた。



美術準備室、だった。

本来美術の授業で使う教室は3階、美術準備室と第二美術室は美術部が部室として使用している場所だった。


たまにサボりに此処に来て、ぼんやりと空を眺めながら寝るのが唯一の逃げ場で、苦しくて仕方が無い今、もしかしたら泣けるかな、なんて柄にも無く想う。


扉に手をかけ、ゆっくり引き戸を開いた。


―誰もいない。



予想はしていたので思わずほっと胸を撫で下ろし、窓際に近い暖かな陽射しを浴びた机に顔を伏せる。

昔、先輩がよく座っていた席と似ていて胸が痛む。
暖かな陽光と音楽室から聞こえるかすかな音楽によって、やがて安らかな眠りに導かれていった。




「ったくお前いつまで寝てんだよ」
「・・・へ?」

起きろ!と怒鳴り声が聞こえたかと思えば目を開けば部長が眉根を寄せて机にふんぞり返っていた。

「お前今何時だと想ってんだよ、ぜんぜんこねえと思ったら部室で寝て嫌がるし・・・」

「あー・・・」

きっちり16時24分と携帯のデジタル時計はそう表示していて、気がつけばもう放課後だということを知らされる。

ああそういえば昼飯食いそびれたなあなんて思い出す。


「はー・・・、せめて暖房つけろよ、風邪引くぞ」

よく見れば背中には部長のブレザーがちゃっかりかかっていた。
もしかしなくても掛けてくれていたのだろう。

「ありがとう、ございます」

「おう、まあ気にするな。ずいぶん気持ち良さそうに眠ってやがったじゃねえの俺の席で」

「え?」

「此処は俺の席だっつうの〜ってもまあ、もともと美術の授業がここであった時のだけどな」

部長は画材を用意しながら再びキャンパスを立て始めた。
・・・どうやら描く気まんまんならしい。


「部長は、先輩のこと好きなんですか」

デッサンをはじめて20分。
震える声で口にすると先輩はすっと綺麗に鉛筆を止めた。

「何故?」

「だって、付き合ってたじゃないですか」

「そうだな」

部長は絵の中の俺をじっと見つめている。

「お前があいつを好きなのと同じだよ」

「え・・・?」

「あいつが俺を好きな理由もお前があいつを好きな理由も、一緒」

慈しむような優しい目でゆっくりと俺を見た。

「憧れと好きは似ている、だからこそ勘違いしやすい」

「ちがうっ・・・!!」

「違わない。似ているんだよ、お前もあいつも。けれど全く違うんだ」

ほら、とでもいうように先輩を書いたデッサンを見せた。
俺を描かれたデッサンをそっと寄り添わせる。

「違いが、わかるか?」

「・・・いえ」

じっと見たがちょっとタッチが違うだけで何も変わらない。
絵の中の先輩が優しく微笑んでいるのに絵の中の俺は、仏頂面でしかめっ面をしている。

「お前もまだまだだなあ」
「・・・・・・」
気が抜けたように笑う部長がなぜか憎らしくてにらみつけるが物ともしない。

「あいつはね、こんなに綺麗に笑うのに。心の中は泥沼のように汚くて薄汚い」

「部長っ・・・!」

「けれどお前は違う、外見は並々だし普段仏頂面で無口でわけわからんやつだど、素直なんだよ」

「へえ・・・」
褒められてるんだかけなされてるのかわからなくて思わず無表情にそう返した。

「とことん素直に嫉妬したり怒ったり喜んだり、笑ったり。素直で矛盾してないんだ」

愛しむように優しい手つきでそっと絵を撫でた。
本当にこの人は絵が好きなんだ。


「アイツもお前も同じ目をしているんだよ、何かに羨望するような憧れを持つ目。でも決定的に違うのは滲み出る人格だ。画家は被写体をよく見る、言っただろう」

「・・・はい」

「俺もたしかにアイツを好きになった。でも、本当の人格が見えたのかもしれないな、描いてる途中で気がついたんだ」

これは恋愛ではないのだと。



「俺は同情だったんだよ、ただの。アイツの過去や生き方に同情して、心配して。そうやって平和に生きた自分の罪悪感を帳消しにして、罪滅ぼしをしただけなんだ」


ああだからなのか、とふいに部長を尻目見る。

血を吐くような懺悔の言葉よりも、たまに見せる表情のほうが辛そうな理由。

先輩に接する態度がおかしな理由も、やっとわかったような気がした。


「アイツは俺に憧れていた。自由に絵を描き、自分を表現する術を知っている俺を」

「じゃあ、俺は・・・」

「それはお前がよくわかっているんじゃないのか」


困ったように部長は笑うとやがて一枚の紙を伏せて、教室いってくる、と言って去っていった。

「あいつは初恋には難しすぎるよ」

そっと部長が廊下で呟いた。


憧れ。
先輩は部長に憧れていた、という。

たしかに先輩は美術部の割りに絵を描いているところをあまり見なかった。
かといって何かをすることもなく、ただぼんやりと空を眺めては時間を潰していた。

そんな先輩を描くのが好きだった。

けれど、部長に言われて否定しきれない気持ちに嫌気が差した。
俺は、先輩を好きではなくて憧れであったとしたら。

そしたら、この気持ちの行方はどうなるのだろう、と。

ゴミ箱に投げ捨てるように簡単に気持ちを捨てきれない、けれど持ちきれないような思いは持ちたくない。



やりきれない気持ちに溜め息をつくと、部長の置いていった一枚の紙を表にかえした。





薄い陽光を浴びて眠る、俺の寝顔の絵だった。





モクジ
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