藤の花に添えて

モクジ


叶わぬものほど、うつくしい。




――私は、遊郭の女。




小さな私の座敷に一人のお客さんがいらっしゃった。


「あらあまた来てくれはったんどすかぁ、おおきにどした、うれしーどす」

「ああ、まあね」

やんわりと微笑んであの人は言う。

長い着流しの裾を返すように詰め寄って私のすぐ傍に音を立てて座り込んだ。

「元気、してたかい」

「達者どしたよ、そちらは達者どしたか?」

久しぶりの再会だった。
前お会いしたのはいつ頃だっただろうか。

―ああそうだ、藤の花。

藤の花が咲いていた、あの頃。
その日は冷たい雨ばかり降っていて、なんだか気分も重々しかったあの日。


「元気だったよ、ねえ、お前」

そう言い掛けたあの人はふいに口を噤んだ。
畳の一点をわずかに見つめたまま、何かを言おうか言うまいか悩むような、そんな表情をして。


「やつれた、ね」

労わるような、慈しむ手つきでふいに私の頬に触れた。
優しくて温かい、掌。


「心配してくれてるんどすか?」

その手に添えるように自分の手も重ねるとふいにあの人は笑った。

中性的な顔立ちに、緩やかな立ち振る舞い。
しゃん、と伸ばした背筋の綺麗な人。


「ああ、心配だよ。あまり会えないから尚更」

心配してくれているのは、事実だろう。

けれど会えないのはきっと、あの人の奥さんの所為。
嫉妬しているわけではない。
羨ましいわけでもない。

ただそう、お母さんを誰かにとられたような、子供のような心。


「口が巧いいんさかいになあ」
そう茶化すとあの人は苦笑いした。


「ねえうちはあんさんにとってなん番目のおなごどすか?」

褥に入ってすぐ抱き寄せられてふいに口を開いて出た言葉。

しまった、とは思ってももう遅い。

あの人は困ったように微笑みながら、よしよし、と赤子をあやすように私の頭を優しく撫で付ける。

「・・・2番目、かなァ」

「・・・ふふふ、素直な人どすなぁ」

「大丈夫・・・?」

心配して私の顔を覗き込む。
それをやんわりと私は手で制す。

傷ついただろうか、なんて思ってほしくない。

「どもないどす、わかってて聞おいやしたんどすから」

「しかし・・・」

それでも食いつくあの人に苦笑いがこぼれてしまう。

ああやっぱり私はあの人が、


「ええんどす、うちはあんさんに幸せになってもらえばええんどす」

嘘。

本当はそんなふうに思えるほど良くなんて出来てないのに。


「・・・・・・」

それでも良く見て欲しくて、好きになってほしくて。

無駄にあがく自分は惨め。





朝になってあの人が出て行く小さな背中がなんだかぼやけた。

もうあの人は来ないだろう。

あんなに昨日はひどいことを言ってしまったんだ、今更後悔しても遅いけれど。

「奥はんを大事にしはるあんさんが好きどすねん」


小さく呟いた。

叶わなくていい、叶ったら、


きっと今度は愛することを望んでしまう。






(貴方も私も女だけれど)(それでも好き)


   (どうか幸せになって、)




     


モクジ
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