【普通に成り損ねた、】



どうしてあの人に恋してしまったんだろう。

口の中で転がすのはあの人の名前。
飴玉のように、甘く転がしすぎれば時として口内を傷つけるような小さな痛み。


「神埼」

「なに」

「まだいたの、アンタ」

馬鹿にしたような食った笑顔でまた彼女は私を傷つける。


ああなんで、私はこんな人に恋してしまったんだろう。

「とっとと消えて、視界に入らないで」

もっと優しい人に恋をすればよかった、なんて。
思っても仕方がない事を大きなため息に乗せて吐き出した。

「目障りなの」

彼女も私も女だった。

普通に成り損ねた、恋だった。






【君はいつも悲劇的だ。】




「神埼?」

「あ、うん」

ざわざわと騒音。
気がついた頃にはもうすでに教室の生徒たちは半数程になり、それはもう退屈でしかないホームルームの終わりを示していた。

…また彼女のことを考えていた。
今朝下駄箱で言われた言葉が反芻する悪循環。

「どうしたのさ〜顔色悪いよ?」
苦笑しつつ私の顔を覗き込む同級生の彼女は腐れ縁とでも言うべきであろうか。
かれこれ5年以上の付き合いを誇る私の数少ない友人でもあった。

「なんでもない、帰ろっか」

「そう?じゃあ帰りにコンビニ寄ろうよ、新商品のフルーツオレにハマっちゃってさ!」
おどけて言う彼女、沢村は試験前の重い鞄を軽々と持ち上げて見せ、ゆるくウェーブのかかった蜂蜜色の髪を揺らした。

なんで、沢村みたいな優しい人に恋しなかったんだろう。






【どうか貴方を繋ぎ止める魔法を下さい】




今日、私の大好きな彼女が誰かと歩いてる姿を見てしまった。
沢村に着いていったコンビニで、新商品を吟味する沢村を置いて雑誌コーナーを物色していた時ふいに目に留まった何気ない景色の中に居たのだ。

ねえ、その人は誰なの。

私には一切見せてくれないような笑顔で横に歩いてる人としゃべりながら。

ねえ、その人が好きなの。

問いかける権利も咎める権利も私にはない。

それなのに、彼女はちらっとこちらを見た。

振り向いた、けど私のほうなんか見てくれていないだろう。


悔しさと痛みがぐるぐるとかき混ざる、逃げるように私は沢村の姿を探そうと踵を返した。

「…あれ、東條さんじゃん」

視界いっぱいに広がる蜂蜜色。
こぶし一個分高い沢村の頭が私の鼻にぶつかる衝撃に視界がぐらりと揺れる。

否、揺れたのはもしかしたら心なのかもしれない。

「そうだね」

「神埼?」

また困ったようなこちらを窺うようなそんな目で沢村が私を覗き込んだ。

平常心、平常心。

沢村はたまにこんな目をして私を見るのだ。
まるで、何もかも知ったような母親のような目で。

「なんでもない、それ買うんでしょ?」

ごまかすように私もそれ、買おうかなあなんてうそぶいてレジに向かう沢村を見送った。






【天使が笑う夜】



「初めまして、あたしは…」
「神埼って頭いいよなぁ…あ、そうだ!今度の模試に…」

東條、

「神埼やるじゃん!」
「あたしも神埼みたいになりた〜い、なんちゃって!」

わたしのだいすきな、ひと。


「気持ち悪い」

やだ、どうして。

「あたしたち女なんだよ?近寄らないで、気持ち悪いありえない」

どうして、そんなこというの。

さばさばしたちょっと男勝りだったけど強い彼女が好きだった。
いつも明るくて誰よりもリーダーシップのある彼女が好きだった。
人気者だけど、誰にでも平等な彼女が好きだった。
ちょっと硬くて肩先で跳ねたこげ茶色の髪が好きだった。
いつもみんなの真ん中で笑ってる大きな目と薄い唇が好きだった。

大好きな所だらけ、だったのに。

いつしか私を慰めてくれて笑顔をくれたその唇は私に毒を吐く花になった。
私みたいな奴でさえ入れてくれたその目はいつしか私の存在すら写さなくなった。

暗転、そして昨日の光景。

楽しそうに寄り添い合う二人がぐらぐらと揺れる。
私に前まで向けてもらったような笑顔ともまた違う、女の顔をした彼女より少し背の高い男の横で幸せそうに。


泣きじゃくる私を尻目に彼女はまた笑った。
崩れ落ちる私をあざけ笑うように、笑った。







【愛も凍るような寒い日】



やかましいアラームに制裁を加え、重い体を起こす。
カーテンをあければ銀景色。

…酷く夢見が悪かった。

それに加えこの天気、昨日の天気予報はなんといったかなと思い出しながら制服とセーターに手をかけた。

なんとなく今日は朝食をとる気分になれなくて、魔法瓶からお湯を注いでカフェオレだけを口に運ぶ。
ほろりと苦いコーヒーが少しずつ私の脳を活性化させていく。

ちらりと時計を視界に入れればすでに登校しなくてはいけない時間を回っていて、行きたくないなあ、なんてうそぶいた。


「おはよ」

「おはよー」

学校まであと100m、いつも見る蜂蜜色の頭に話しかける。
後ろから話しかけても誰だかわかるだなんてなんだか恥ずかしいなあと思いつつ沢村の横に並ぶ。


「あれ、なんか目赤いじゃん、どうしたのさ」
「え、そう?」

鏡で確認した時、確かにほんのりと赤く染まった目のふちに格闘した覚えはあった。
目薬でなんとか結膜炎を起こした白目は復活したものの、目の腫ればかりはどうにもならずにあっさり諦めたのだ。

「顔洗ったの〜?全く〜」
「いやいや洗ったし、てゆーか寒いからだよ」
勘の鋭い沢村のことだ、もしかしたらなんとなく察していたのかもしれない。
理由はどうあれ、泣いたのではないかということを。

「よっしゃあ、貸し一つね!」
「え?それどういうこと?」
「わかってんでしょ?私に貸し作った覚えぐらいさ」
下駄箱で盛大に音を立てて上履きを落としながら彼女は不適に笑ってみせる。

恩着せがましくわざわざ言ってくれた我が友人に思わずため息をこぼした。





【「好きなだけ愛せばいい」】



「それでは今日はここまで」

「ありがとうございましたー」

終わりのチャイムを合図に教師の一言でがやがやとまた騒がしくなる教室。
古典は相変わらず眠くなるなあと先ほどまで書き留めていた大学ノートの文字をさらりと撫でる。

「神埼〜」

「ん、なあに?」

「さっきの借り、早速で悪いけどさ」

にやりと笑う沢村になんとなく嫌な予感がした。
第六感が騒いでいた。

断れ、今すぐに!と訴えている。

「うん」

「昼休みちょっと中庭いこっか」

それから話すから、と残して沢村はさっさと自分の机に戻っていった。

勿論、彼女にとっては私の返事は必要なかったのだろう。

断る隙すら与えない彼女の強引さは嫌いじゃなかった。


強引なお誘いまであと95分。




【今日、世界が終る気がする】



「やっと昼休み!おなかすいちゃった〜」

コンビニ袋を片手に私の机にどん、と前のめりで押し寄せてきた沢村は”さっさと行くよ”と目で告げていた。
もうこの時点で結構憂鬱だった。

「なんで中庭なの?」

急かして来たのは沢村のくせにのんびりとした足取りで階段を下りている、急ぎじゃないのか。

「ん〜なんとなく、かなあ?」

「なにそれ」
やんわり笑ってそれ以上言葉を発するのを制された。

ああ、絶対何かがある気がする。

エントランスを通り過ぎ、ガラス製のドアを開ければ指先がびりびりと痺れるような冷たい風が身を包む。

「さっむ」
「ほんとだねえ…大丈夫?上着とか必要だった?」
「上着は別にいいけど…、なんでこんな寒い季節に中庭でご飯なんか…」
ぶつくさ文句を言う私に沢村は苦笑い。
なんだかんだ言って彼女は私よりも結構大人なんだろうなあと思う。

「借り、まだ果たしてもらったわけじゃないからね」

「え?これが借りなんじゃないの?」

「違う違う」

「えぇ〜、あんま高いもんは奢れないからね?」
沢村はまたくすくすと笑ってはぐらかした。
奢ってほしいわけじゃない、と言って紅茶のストローを噛み締める。

「…その癖、まだ直んないんだね」
「まーね、行儀悪いってわかってるんだけどさ」

そういえば沢村と初めて仲良くなったのがストローを噛むこの癖からだった。
小学生の頃、沢村はこの町に引っ越してきた。
クォーターということで、蜂蜜色に少し日本人離れした外見は小学生からは中々受け入れ難いものだったのかいつもみんな遠巻きに沢村を見ていた。
もちろん、人見知りの激しい私もその一人だった。

遠足の時にたまたま班が一緒になってお昼ごはんを食べた時だった。
とても外見が整った上品なイメージのある彼女がストローを噛んでぼんやりと外を眺めていて、なんとなく親近感が沸いて話しかけたのがきっかけだった。

「…神埼?」
「あ、ごめん」
「あんたも本当に変わらないよね、そういうとこ」
「そう?ぼんやりしてるからかな」
「人前で百面相して、しゃべってる相手すら放置して何か考え込んじゃうとこ」

苦笑いというよりは、どちらかといえば寂しそうに沢村は笑った。

「ごめん」

「ん、いいよ。それよりさっきの借りの話ね」

「ああそれ、やっぱ返さなきゃだめ?」

「んー、私からは拒否権なし!って言い切ってやりたいとこだけど」

「珍しい、沢村がはっきりしない…」

なんとなく茶化さずにはいられなかった。
沢村の雰囲気がいつもと何か違う。

「私と付き合って見ませんかって拒否権なしの質問じゃさすがに神埼が不憫すぎちゃうからさ」

「え」

さっぱり言ってくれたお陰で聞き間違えたのかと思って沢村の顔色を窺う。
いつものような柔らかくて明るい雰囲気は健在だが、なんとなく目が戸惑っているような不安に揺れているような目をしていた。
…ああ、冗談なんかじゃなくからかってるわけでもなく、本気なんだ。

「返事は、言わなくてもいいから、ひとつだけお願い」

「うん」
戸惑いや不安が伝染していく。
沢村の張り詰めたような緊張の糸を伝って、私まで胸が苦しくなるような重みが圧し掛かってくる。

「嫌いには、ならないで」


なんて我侭なんだろう。

私があの人に言えなかったその一言を沢村は容易に言ってのけた。


ぎゅっと握り締めた拳よりキリキリと痛む胸のほうが苦しかった。
今声を出したらきっと震えた情けない応えしか出来ないから小さく頷いた。
沢村がほっと安堵したような息を零すと同時に昼休みの終わりを告げる鐘が鳴った。






【何してるって?サヨナラの準備。】


沢村が私に告白してきたのが一週間前。
私があの人をあまり意識しなくなってきたのが6日前。
沢村と私がぎこちない雰囲気でまた話し始めたのが5日前。
沢村がなんとなく幸せそうに、今までより優しくなったのが4日前。
あの人が恋人と別れたという話を聞いたのは3日前。
沢村に心配された2日前。
沢村に「ごめん、やっぱ諦められないかもしれない」なんておどけながら言われた1日前。

そして、沢村に「友情以上恋人未満からでもよければ」と伝える今日。

ようやく、心の中のあの人にサヨウナラが出来る今日。







【君に恋した一週間】











[あとがき]


リハビリでシリーズお題にいきました。
しょっぱなから百合っていうのもどうかと思いましたが、去年の漢字一文字は「絆」ということなので精神的な繋がりをすごく大事にする百合ということで。



【お題元サイト】関節の外れた世界