幸せの在り処。
先輩や部長の卒業シーズンが迫ってきた。
先輩のデッサンも終わり、色が入り始めた頃。
先輩とはあまり関わりはないものの、直々と部室には顔を出しにきているようでちょっとだけ安心する。
「おいこっちむけや、どっち向いてるんだよお前」
「あーはいすいません」
思わずよそ見していると早速部長から苦情が来た。
毎日同じ時間、同じ場所、同じ状態で描くこの作業にもだいぶ慣れてきた。
「ずいぶん上の空じゃねえか、どうしたんだよ」
「え?ええまあ・・・」
ふいに筆を止めると部長は不服そうにそういった。
この人の性格も大分分かってきた。
めんどくさそうにするのは、関わると大事にしてしまうから。
本当は世話焼くのが好きな癖に、迷惑をかけるといけないから。
「・・・アイツはもうこないぞ」
「は?」
アイツとは先輩のことを指してるのだろう。
部長は小さく溜め息をつくと筆を水につけた。
「退部届けが出た。・・・言うことあるんじゃねえの、お前」
「・・・」
部長をじっと見ると部長は疲れたような笑みをこぼした。
「部長、聞いてもいいですか」
「・・・なんだよ」
一息つくと部長に語りかける。
「部長の本当の付き合った理由を教えてくれますか」
すると拍子抜けしたような呆然としたような表情をして再び無表情のようないつもどおりの表情に戻る。
「言ってくれるなあ本当に」
「お互い様なんじゃないですか」
「嘘つきなんだよ、あいつは。でも嘘に嘘を重ねてでも俺に好きになってほしいと、愛されたいと思ってくれたことが、俺には嬉しかったんだ」
部長の表情は澄んでいた。
やがて部長に礼を言ってから俺は先輩の姿を探した。
中庭、校庭、教室、図書室・・・
どこへ行っても先輩は見つからない。
まさかと思って下駄箱へ行くが靴はまだ残っている。
まさかと思ってたどり着いた先は、屋上だった。
「先輩」
「・・・やあ」
俺の声によって気がついたのか、扉の音に気づいたのか、先輩はゆっくりとこちらに振り向いた。
屋上の柵に寄りかかるようにして佇む先輩の横顔はやや寂しそうだった。
「先輩、部活やめたんですか」
「まあね」
「なんで、やめたんですか」
「・・・キミには関係ないだろう」
先輩はほっといてくれ、とでも言うようにまた柵の向こうに目線を移した。
「関係、ありますよ。一応後輩ですし」
「後輩だから?だから何?キミには部活で関わっていたけれど、これは部長と僕の問題だよ」
声音は鋭いナイフのような冷たい音となって消えた。
「なんでそんなことばっか、言うんですか。どうしていつも―・・・」
言いかけたところで区切る。
先輩がややあってわずかに俯いたからだ。
「・・・先輩の大好きだった人は、どんな人でしたか」
「・・・恋人とはもう別れた」
「知ってます、だからどんな人だったんですか」
「・・・自分を、綺麗に表現できる人」
「先輩は、大好きだったんですね」
「・・・うん、」
かすかに震える先輩の背中が遠く感じた。
出来る事なら、傍にいたかった。
傍にいって、もう大丈夫、といいたかった。
けれど、その役は俺ではないから。
「先輩、泣いたらいいんです」
「・・・?」
「泣いてください、先輩」
「・・・・・・」
空を見上げた先輩の背中はまだ震えていた。
ああこの人は泣きたいんだと、辛いんだと、痛いのだと、そう感じて無性に苦しくて、悲しくてたまらなくなる。
ああ本当はまだ、俺はこの人が好きなんだと。
人間的な意味でも、全て全て。
そう思うとどうしようもなくて、やるせなくて涙がぼろぼろと落ちていく。
「本っ当に・・・もう、何回貴方はそうやって自分の気持ちを殺してきたんですかっ、何回貴方はっ・・・」
声もなく嗚咽して、しゃくりあげては次の言葉を繰り出そうとするが見当たらない。
もう声が、出ない。
喉元からつっかえるように、呼吸を呑む音だけがやけに大きく聞こえた。
「なんで、キミが泣いてるのさ・・・」
先輩は振り向くことなく困ったような声音で言う。
「あんたがっ・・・、好きだったからだよ!」
「・・・そう」
「わかってたんだろっ、知ってたんだろ、」
ボロボロと崩れ落ちる涙が恨めしい。
それでも負けるもんかと先輩の背中を見据える。
「・・・うん、知ってたよ。ねえ、好きって苦しいね、痛いよね。信じるのも、同じだよね」
「・・・・・・」
「僕はさあ、人間嫌いだし人間不信なんだ。僕は僕を表現することが出来ない。だから、伝え切れなくて何度も人を傷つけて、言った後いつも後悔して昔は泣いていた」
「・・・うん」
「だから、演じることにしたんだ。優しい人を、完璧な先輩を。けどね、そんな所に部長が現れて、本当の中身見られて、それでも受け入れてもらえて・・・、初めてだったんだ」
先輩の声音も震えていた。
先ほどのような冷たさも、切り付けられるような言葉もない。
「憧れてた。羨ましかったんだ、本当に。あんなふうに僕もなりたかった、自由に表現できて、好きなこともあって。羨ましくて、僕にはない物をたくさん持っていて・・・」
「・・・・・・」
「キミが僕を好きな理由も一緒なんだろう」
部長と同じことを言わないでほしかった。
「いいえ、これはたしかに恋でした」
すんすんと鼻をすすりながら、みっともない顔をまた上げる。
先輩は最後まで振り向かない気ならしい。
「先輩」
「ん・・・?」
「3年間、好きで居させてくれてありがとう」
ずっとずっと、大好きでした。
気持ちに終止符を。
大好きでいさせてくれて、ただ有難うを。
「好きになってくれて、ありがとう」
先輩は振り向く事は無かったけれど、泣きそうにして笑ったのだと、そんな気がした。
あれから先輩はごく普通に学生を全うして卒業していった。
部長はどうやら高校を卒業してすぐに外国の美術の学校へ進学したらしい。
シンデレラや白雪姫のようなハッピーエンドではないけれど、俺なりのハッピーエンドだろう。
たしかにあれは恋だった
幸せの在り処
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