それでも僕らは手を伸ばし続けた
愛してるだとか、好きだとか。
そんな言葉、今更聞きたくもなかった
それでも僕らは愛を乞う。
「先輩、失恋したんすか」
「ん?あ〜まあね」
薄茶色のやや長めの前髪をうっとうしそうに払うと先輩は困ったように笑った。
「寂しいとかあるんすか?」
「ん〜そうでもないよ、やっぱり慣れてしまうと・・・ね?」
「ふうん」
不服そうに見えたのだろうか、先輩は眉をしかめてこちらを見る。
「で?それでそんな情報、どこで聞いたんだい?」
「え?あーまあ、結構話題ですよ」
嘘だ。
本当は思わず美術部の連中が噂しているのを聞いてその話題に食いつくように根掘り葉掘り聞いたのだ。
そんなこと、言える分けない。
嫌われるのが、怖いのだと、初めて自覚した秋の頃。
先輩と俺が出会ったのは中学時代。
その頃も美術部で、俺はたまたま部活を選ぶのに活動時間が少ない美術部を選択していた。
・・・最初は、ただの強制で入れられた部活だったのに。
何回か話す内に、最初は挨拶から、そしてだんだんと他愛もない日常話しをするようになってなんとなく先輩が友達という感覚に納まるのだと気がついた。
それから先輩が卒業して入学した高校を知って、先輩の後を追うようにして俺も同じ高校に入った。
偶然なんかじゃない、本当に先輩の後を追ったんだ。
「そっかあ・・・話題に、なっちゃったんだね」
俯く様に睫を伏せた先輩に心無しかずきりと心が痛んだ。
そんな表情をさせるつもりはなかった。
こんな表情にさせてしまう自分は2回目だった。
初めは先輩に恋人がいると聞いて誰かを突き止めて探し回ってたあの時。
幸い俺が探してるなんて考えてもいなかっただろうけれど、先輩の恋人を探ってる人がいると聞いて先輩は悲しそうな表情をした。
もう、あんな表情はさせたくなかった。
あまり笑わない先輩だけれど、せめて悲しい表情だけはさせたくはない、そう想っていたのに・・・
「そ、そんな大きな話題じゃないらしいっすよ」
慌てたようにそう繕うと先輩は無言でやんわりと微笑んだ。
苦し紛れについた嘘も見透かされているかのようだった。
先輩の恋人は、一つ上の学年の人だった。
美術部の部長、いい加減で失礼な人で、口の悪い先輩だ。
黒髪に跳ねた毛先、細い眉毛に薄い一重の目。
第一印象は怖い先輩、が付き物の無愛想な先輩である。
何回かは会話したことはあるものの、部長と先輩が恋人であると知ってから何故か腫れ物に触るような態度で接してしまっている自分に嫌気が差して思わず避けるようにしていた。
「それじゃあ、少し用事あるから席を外すね」
「あ、はい」
ぼーっとしていると先輩が困ったように笑って席を外して、部室には俺一人が残った。
たくさんのキャンパスの並んだ部室。
油絵と水彩画の画材の匂いの混じったような、埃っぽいようなかすかな匂い。
中学生の頃から嗅いでいた馴染みある匂いだった。
ふと部員がどんな絵を描いているのかが気になってキャンパスの絵を布を軽く捲って覗いてみる。
学校の中庭、窓から見た校庭、窓越しに見える空、自画像、・・・先輩?
キャンパスに描かれているのはモノクロのデッサンではあるが、たしかに先輩だった。
やや長めの前髪、横に長い目に薄い唇、目のすぐ下にある涙黒子も、丁寧に書かれていて、ああ本当にこれを描いた人は先輩が好きなんだなあと想わされるような絵、キャンパスの中の先輩は幸せそうに笑っていた。
これだけよく見ていて、こんなにたくさん見れて、描く事が出来て・・・、先輩を本当に笑わせることが出来て、絵が上手いとか下手とか関係なく、どうしようもない苛立ちが走る。
羨ましい、悔しい、妬ましい・・・、滲み出るようにしてふつふつと湧き上がってくる感情に耐え切れずに思わず絵から目をそむけた。
悲しい表情をする先輩を見るのも辛いけれど、自分ではない誰かによってしか出ない表情を見せ付けられるのも辛くて、苦しかった。
「悔しいか」
「ぶ、ちょう・・・」
突然背後から声がかかってばっと振り向くとそこには鞄を片手に無表情で佇む、部長がいた。
この絵を描いたのもやはり部長だったんだろう。
声音からして尚更怒りが募る。
「その絵は・・・去年だったか」
「・・・」
「お前が入学する前の話だ。ただの落書きをまだ残しているとはなあ」
さして興味はない、とでもい言うように部長はキャンパスの絵を乱雑に手に取った。
「部長は、本当に付き合ってたんですか」
「ほーもう噂に広まったか」
キャンパスの絵をまじまじと見ながら先輩は面白そうに言う。
「うん、俺は付き合ってたよ。あいつと」
「なんで、別れたりしたんすか」
「芸術家って言うのは気まぐれなんだよ」
「・・・・・・」
「不服そうだなあおい」
部長は苦笑いして先輩の絵を机に放り投げた。
「ちょっと!」
何してるんですか、と言いかけた所で声は消え失せる、否・・・、声を出す気を失う。
「画家は被写体に恋をする。・・・有名な擬似恋愛さ」
はき捨てるような言葉は辛辣で、毒というより血を吐くような痛みを通っていった。
黙って部長の言葉を待つと部長は放り投げた先輩の絵をゆっくりとなぞる。
「画家っていうのは被写体をよく見るもんだ。たとえばたった一つの林檎であっても、その輪郭や中身、質量や色、艶なんかも。」
林檎の絵をキャンパスから覗かせると諭すような口調でそういう。
「それが人間をモデルにして描く絵になると、たくさんのことが見えてくる。外見もそうだが、人格だとかその人そのものを見るようになる。
綺麗なところも汚いところも、中身を丸々と見てしまう。人をモデルにするにはな、相当な覚悟がいるんだよ」
部長はぼんやりとつぶやいた。
「部長、」
貴方は本当に先輩が好きだったんですか。
聞きたい、聞きたくない、聞けない。
怖くて聞きたくなかった。
本当のことなんて知りたくなかった。
けれど、先輩のことを知りたかった。
「なあ、今年のコンクール。お前を描きたい」
「は・・・?」
「人を描くっていうのをどんなんかを見せてやる。お前の描いたうすっぺらな絵とは違うってことを教えてやる」
無気力な手をブラリと俺に差し出した。
・・・握手?
「俺はな、人を描くことは好きだけれど嫌いだ」
「・・・はい」
「内面の汚いところも綺麗な所も、絵で滲み出てきてしまうから」
たとえば、お前の大好きな先輩のどろどろとした醜い感情だとか。
「けれど、嫌いにはなれないんだ。絵を描くことが好きだから。」
先輩は珍しく笑った。
いつもの嫌味もない、涼しい笑顔だった。
それでも僕らは、
(部長って、笑えるんだ・・・)
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